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よく恋愛相談などで、「婚活で条件のいい人と知り合ったので、恋愛感情はありませんが結婚しようと思います。少し迷ってはいますが、これで本当に幸せになれるのでしょうか」と、頭を悩ませているものです。 ですが、どんなに愛し合った仲で結婚してとしても、結婚後数年で恋愛感情は冷めてしまうことを考えれば、自分の思っている条件に合致しているなら、結婚してもいいのではないでしょうか。 条件と恋愛感情の折り合いをつけるためには、何が自分の生き方の理想とする幸福につながるのか、基準となる優先順位、譲れないポイントなどをしっかり考えておく必要がありそうです。
子供のころは、小学校、中学校、高校にしても、仲間がいっぱいいるので、寂しいなどと思ったことはないでしょう。 ですが、大学を卒業して、会社で働くようになると、昔の仲間のように損得を考えず気軽にコミュニケーションのできる人は少なくなり、同僚は全員ライバルのような関係になって、だんだんと孤独感が襲ってくるものです。 そんなとき、ふと、お互いに趣味や生き方、考え方に共感でき、そのうえ一緒に苦楽を共にできるようなパートナーが欲しくなって、結婚したくなることがあります。 ★ つまり、人生を二人で楽しむことを目的に結婚するのです。 確かに、一人で悩んでひたすら苦しいことばかりを繰り返しているよりも、自分を理解してくれるパートナーがいれば、人生がより豊かになり、それだけで世界が広がり刺激が増え喜びは二倍になります。 自分を気取らずに見せて笑い合える、いつも明るい話題を振りまいてくれる、体の相性がピッタリ、外見が好みのタイプなど、異性として魅力的だと思える相手と結婚すれば、毎日がハッピーになることでしょう。 こういう男性は、経済力や職業などでは、女性の望むような条件に合致しないかもしれませんが、どんな貧しい環境でも笑いの絶えない家庭になる可能性は高いはずです。
最近は、シングルマザーになってでも、子どもをしっかり育てている女性がたくさんいますが、これなども本当は子どもを作ることを第一の目的で結婚したのかもしれません。 子どもを欲しいと考えているなら、結婚が最善でしょうが、アラフォーの女性は、子供が産めなくなる年齢は正確に知っておいたほうがいいでしょう。 でも、夫婦とも体にまったく問題がないのに、子どもさんが授からない場合もありますので、子どもが欲しいだけの目的の結婚は危うさもあります。 また、最近では育児を楽しむようなイクメンもいますが、現実には、結婚して子どもが産まれたことをきっかけで険悪になる夫婦も多く、炊事や子育ての大変さや教育方針で口論やケンカが絶えないこともあります。 一方では、結婚をして、子どもを得ることは、女性にしか理解できない満足感があるし、子どもの成長とともに、自分の親族や、地域社会と関わることになり、徐々に自分が「一人前の大人の女になった」という実感も湧いてきます。それも一種の幸福感でしょう。 いずれにしても、子どもを育てるということは、夫婦で全面協力しないと、子どもさんだけでなく夫婦関係にも問題が生じますので、できるだけ、温和で優しく子ども好きという特徴を持った男性を結婚相手に選ぶべきです。
経済的な安定を目的に結婚するには、相手にある程度の年収があることが前提になるでしょう。よく、「年収などを気にしていたら、いつがたっても結婚なんかできない」などと言われますが、安定した生活を目的とするなら、妥協すべきではありません。 さらに、持ち家があってローンもないような相手なら、玉の輿に乗ったようなもので、生活の安定は保証され文句はないでしょう。ただ、経済的な条件を満たして、そのうえ外見も内面も魅力的で素晴らしい人というのは、そんなに巡り合えることはないので、平凡な結婚生活で満足する必要はあります。 そのため、ある程度、恋愛感情は無視した結婚生活になるので、将来、結婚に後悔して離婚するケースがないとも限りません。 世間には、婚活で20歳以上年の離れた男性と出会って、生活の安定を優先して結婚する若い女性がいますが、男性によほど尊敬できるような魅力がないと、いずれ夫婦関係は冷めてしまうことが多いです。 こういう夫婦は、基本的に「若い女性の体を提供する代わりに、お金をいただく」という関係を構築しているので、何らかの理由でお金が入らなくなったら、即離婚という結果になりかねないでしょう。
夫婦関係については、先人が次のような古歌を残し、私たちにアドバイスを与えてくれています。 『夫には 従うものと 知りながら 夜のみとこそ 思いしぞ憂(う)き』 夫には従うものとは、頭の中で分かっていたが、夜だけ夫の言いなりになっていたら良いと考えていた。だが、この考えは間違っていたと、やっと気が付いたときの歌であります。 この世の中には夫婦の関係ほど、不思議で微妙なものはありません。 結婚は一つ屋根の下で他人同士の男女が一緒に暮らすことになるわけですから、宿世の縁としか言いようがありません。 人間は感情の動物であり、誰にでも好き嫌いの思いはありますが、好きな人と結婚できる人、さほどでもないのに、結果的に結婚してしまう人、これ、ともに宿世の縁であります。 しかし、好き者同士が一緒になったのに、結婚はいつしか破れ、嫌いな相手と一緒になって夫婦げんかも絶えないのに、一生縁が続いたという夫婦は枚挙にいとまがなく、縁とはまことに摩訶不思議なものであります。 良かれ悪しかれ、一本の赤い人で結ばれること自体、ただごとではありません。 このただごとでないことを十分理解された上で、より夫婦の絆(きずな)を深めるところに人間の価値はあるのではないでしょうか。 それなのに一時の感情のおもむくまま、せっかくの生活の土台を根本から崩すのは、これほどやりきれないことはありません。 無理に別れ、互いの胸に、生涯癒しきれないキズを与え、悪くすると、来世にもつながりかねない恨みを抱きながらの、その後の生活は、よほどの幸運に恵まれた人でない限り、ウマクいくことは少ないと言えましょう。 近頃の風潮は、離婚が当たり前のようになっていますが、夫婦生活はお互いの精神を高めるための道場でありますので、夫婦げんかもあり、愛し合うこともあり、労り合うこともあって、そのなかで、夫婦としてのあり方を学んでいくものです。 そして、最後に、夫婦道を極め、死ぬ間際に夫婦としての免許皆伝が天から授けられ、「あなたがいたからこそ、私は人生を100倍楽しめましたよ」と言って、楽しい思い出のみを心にいっぱい詰め込んで天寿を全うしたいものですね。 一方、夫としても次のような古歌が残されています。 『女房は 愛するものと 知りながら 昼は粗末に せしぞ愚かや』 女房は夜のベッドの中だけ大切にしていたらいいと思って、昼は粗末にしていたが、この考えは間違いであったと、やっと気が付いたときの歌であります。 感慨深い古歌ですねえ。
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